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呼吸は第二の指紋だった──96.8%の精度で個人を識別、あなたの心身を丸裸にする新技術

Y Kobayashi

2025年6月15日

毎日、約2万回。私たちはほとんど意識することなく呼吸を繰り返している。しかし、その一つ一つの吸って吐くという行為に、あなただけの「署名」が刻まれているとしたらどうだろうか。イスラエルの研究チームが、私たちの呼吸パターンが指紋と同じくらいユニークであり、驚異的な精度で個人を識別できる「呼吸の指紋(Respiratory Fingerprint)」を発見した。さらにこの技術は、個人の特定に留まらず、BMI(ボディマス指数)から不安やうつの傾向といった心身の状態までをも映し出す可能性を秘めている。これは、未来の医療と生体認証に革命をもたらす、静かなる呼吸のビッグデータ革命の幕開けなのかもしれない。

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なぜ呼吸は人それぞれ違うのか?鍵は「脳」にあり

呼吸と聞けば、多くの人は肺や気管支といった呼吸器系の働きを思い浮かべるだろう。だが、呼吸の真の司令塔は「脳」にある。呼吸は、脳幹にある「プレ・ベッツィンガー複合体(pre-Bötzinger complex)」を中心とした極めて複雑な神経ネットワークによって、絶えず制御されている。

イスラエル・ワイツマン科学研究所のNoam Sobel教授率いる研究チームは、この事実に着目した。「脳が一人ひとり違うのであれば、その脳によって制御される呼吸パターンもまた、ユニークであるはずだ」。この仮説が、今回の画期的な研究の出発点となった。

研究チームはもともと、嗅覚が脳機能、特に記憶や感情とどう結びついているかを研究していた。匂いを感知する行為は吸気(息を吸うこと)と密接に連動しており、この関係性を探る中で、呼吸そのものが持つ情報量への関心が深まっていったのだ。

主任研究者の一人であるTimna Soroka氏は、「個人の呼吸パターンの独自性は、呼吸科学の分野で何十年も前から議論されていました。しかし、これまでそれを手軽に長期間測定する方法がなかったのです」と語る。彼らはその壁を、最先端のテクノロジーで打ち破った。

24時間追跡で暴かれた「呼吸の正体」- 研究手法の全貌

この仮説を検証するため、研究チームは「Nasal Holter(ネイザル・ホルター)」と名付けた小型のウェアラブルデバイスを開発した。重さわずか22グラムのこの装置は、首の後ろに貼り付け、鼻の下に伸びる柔らかなチューブを通して左右の鼻孔からの空気の流れ(鼻腔気流)を24時間にわたって連続的に記録する。

実験には100人の健康な若者が参加。彼らはこのデバイスを装着したまま、普段通りの日常生活を送った。睡眠、仕事、運動、休息といった様々な状況下での呼吸データが、休むことなく収集されたのだ。

驚異の個人識別精度「96.8%」

集められた膨大な呼吸データは、AI(人工知能)アルゴリズムによって解析された。研究チームは、「BreathMetrics」と呼ばれる分析手法を用い、吸気と呼気の時間、その間のポーズ、左右の鼻孔の気流の非対称性、呼吸の深さや速さの変動など、24もの特徴量を抽出した。

その結果は、研究者たちの予想をはるかに超えるものだった。

AIは、24時間の呼吸データだけで、96.8%という驚異的な精度で個人を識別することに成功したのだ。 これは、広く使われている声紋認証に匹敵、あるいはそれを凌駕する精度であり、「呼吸の指紋」が単なる比喩ではないことを証明した。わずか1時間のデータからでも43%の精度で識別可能であり、データの蓄積とともにその精度は飛躍的に向上した。

時間を超えても変わらない安定性

さらに驚くべきは、その安定性だ。実験に参加した42人が数週間後、数ヶ月後、中には2年後に再テストを受けた際も、AIは高い精度で彼らを識別できた。これは、呼吸パターンが一時的なものではなく、個人に固有の、安定した生体特徴であることを示唆している。まさに「指紋」と呼ぶにふさわしい不変性がそこにはあった。

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呼吸は「心と体を映す鏡」だった

この研究の真価は、個人識別の精度の高さだけに留まらない。研究チームは、呼吸パターンが私たちの心と体の状態を驚くほど雄弁に物語る「生きたログブック」である可能性を発見した。

身体的特徴とのリンク – BMIとの相関

分析の結果、呼吸パターンとBMI(肥満度を示す指数)との間に有意な相関関係が見出された。特に睡眠中の呼吸プロファイルは、その人のBMIを反映していた。これは、体重が呼吸の力学に与える影響が、無意識の呼吸パターンに恒常的に現れることを示している。

精神状態を可視化する – 不安とうつのサイン

最も注目すべきは、精神状態との関連だ。参加者が記入した質問票から得られた不安やうつの傾向スコアと、呼吸パターンとの間に明確なつながりが見つかったのだ。

例えば、不安傾向が比較的高い参加者は、睡眠中に吸気が浅く短くなる傾向や、呼吸と呼吸の間のポーズ(無呼吸)の長さにばらつきが大きいといった特徴を示した。臨床的に診断されるレベルではない健康な集団の中ですら、こうした微細な呼吸の違いがメンタルヘルスの状態を反映していたのである。

Sobel教授は、「私たちは、鼻を通して心(マインド)を読んでいるようなものだ」と語る。彼の言葉は、この技術が持つ診断ツールとしての計り知れない可能性を示唆している。

未来の医療と社会はどう変わるのか?

「呼吸の指紋」の発見は、私たちの未来にどのような変化をもたらすのだろうか。その可能性は、医療からセキュリティまで多岐にわたる。

診断から治療へ – 呼吸が拓く新たな可能性

この技術は、精神疾患の客観的な診断や早期発見に繋がるかもしれない。うつ病や不安障害、あるいは自閉症スペクトラム障害などの兆候を、問診だけでなく呼吸パターンという客観的なバイオマーカーから捉えられる可能性がある。

さらに、Sobel教授は次のような大胆な可能性を提示する。「私たちは直感的に、不安や抑うつが呼吸を変えると考えがちです。しかし、逆かもしれません。あなたの呼吸の仕方が、あなたを不安にさせているのかもしれないのです。もしそれが本当なら、呼吸の仕方を変えることで、それらの状態を改善できる可能性があります」。

これは、古くからヨガや瞑想で行われてきた呼吸法が、科学的な裏付けを得て、新たな治療法として確立される未来を予感させる。

光と影 – 「呼吸ID」がもたらすプライバシー懸念

一方で、この技術は新たな課題も投げかける。呼吸が生体認証IDとして利用されるようになれば、その利便性の裏でプライバシーの問題が浮上する。現在のデバイスは直接装着する必要があるが、将来的に遠隔で呼吸を測定する技術が生まれれば、本人の知らないうちに生体情報や健康状態、さらには精神状態までが読み取られるリスクも考えられる。技術の進歩と共に、その利用に関する倫理的な議論が不可欠となるだろう。

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呼吸科学の新時代が幕を開けた

今回の研究は、私たちが日々無意識に行っている「呼吸」という行為を、単なる生命維持活動から、個人の内面世界を解き明かすための豊潤な情報源へと昇華させた。それは、呼吸科学におけるパラダイムシフトであり、新時代の幕開けを告げるものだ。

あなたの呼吸は、あなたという存在そのものを映し出す、唯一無二のパターンを持っている。そのパターンを読み解く技術は、病に苦しむ人々を救い、私たちの心と体の理解を深める鍵となるかもしれない。私たちは今、自らの呼吸に耳を傾けるべき、新たな時代の入り口に立っているのである。


Meta Description

あなたの呼吸は指紋のようにユニークで、96.8%の精度で個人を識別できることが判明。さらにBMIや不安、うつ傾向まで映し出す「呼吸の指rint」の全貌と、未来の医療・社会への影響を科学ジャーナリストが徹底解説します。

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